きみを死なせないための物語 宇宙考証の解説
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テザー
©吟鳥子(秋田書店)

15.ワイヤのこと

本話では宇宙工学に関わる事項はありませんが,マニアな方には目を引くひとコマがあります.ワイヤ,お好きですか?

15.1.ワイヤロープ

本作で宇宙考証のお手伝いをさせていただくに当たって,筆者は宇宙工学に関わる研究者の端くれとしては「定量的」な根拠に基く考証を常に心掛けています.

そのことから,筆者は本作の宇宙考証では以下の前提に立っています.

■遙かなる未踏技術は採用しない.

■未踏技術はなるべく一点集約したい.

■未踏技術は現在既にその基礎が存在するものを採用する.

作者から舞台設定について適時にお題を頂いた際,上記に基いて幅広く検討し,成立させるために計算をすることが本当に楽しい!

ということで,貴重な機会を戴いていることに心より感謝申し上げる次第です.

その結果として,現在の延長線上にあるそれほど遠くない未来という舞台設定にリアリティやケレン味を感じていただければ,とても嬉しく思います.

さて,上記のことは言い換えれば,現状に基礎技術があればある程度の未踏技術をSFとしては導入してみたいよね…ということにもなります.

まず舞台を成立させるためのコクーンの人口や容積,重量を定量的に求めた上で,そのコクーンを繋留するためのテザーに対しては,トップページにも記載のようにある強度密度,性質などが要求されます.テザー技術は既存ですし,それぞれ単独でその要求を満たす材料は既に存在します.

ところが全ての要求を同時に満たす材料は未だ存在していません.

そこで本作ではテザー材料としてS-CNT複合材というものを仮定しています.そして本作に登場する未踏技術としては,ほぼ全てこのS-CNT複合材に集約させているとも言えます.

テザーの外観は,トップ画像のように今話で詳しく描画されています.

このテザーはS-CNT複合材で作られたワイヤロープです.

ロープや電気の配線などは,場合によっては単線で構成されることもありますが,単線だと少しでも損傷すれば強度が一気に低下しますし,破断すればそれで終わりです.特に,破断するほどの大きな力でなくとも,小さな力が繰り返し負荷される場合には段々と疲労して行きます.疲労すると強度が大きく低下し,さらに塑性変形や微小な亀裂が蓄積して,あるときブチンと破断することに繋がります.針金を引きちぎるのではなくて,繰り返しクニクニと曲げているとやがて切れますよね.

そこで,ロープや配線などでは単線が撚り合わされた「撚り線」となっていることが殆どです.しかしながら単に複数の単線を撚り合わせれば良いというものではないというのが面白いところです.

その構成や撚り具合は日本工業規格(JIS規格)のJIS G 3525によって規定されていますが,一例として「6×7」の構成を以下に示します.

ワイヤロープ6×7

みなさんも身の回りにロープの切れ端がありましたら,ぜひ文字通り紐解いてみてください.恐らくは細い紐を撚り合わせたものをもう一度撚り合わせたようになっているかと思われます.

そして改めてトップ画像のコクーンを繋留しているテザーを見てみますと,とても丁寧に撚り線にて描かれていることが分かります.

さらに言いますと,トップ画像の地球は日陰側から見たものですが,その輪郭部には第3話の3.3節で解説したように大気の影響もまた描かれています.

15.2.S-310-36号機

宇宙でもワイヤロープが使われることがあります.

筆者は前職において,宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙科学研究所(ISAS)の観測ロケットS-310の36号機のPIを担当したことがあります.

S-310-36号機では,下図のような将来の宇宙での大規模展開構造物の基礎技術を検証することを行いました.

ふろしき衛星
提供:東京大学・中須賀真一教授

そのために我々は下図のような,観測ロケットの先端部に搭載する実験装置を開発しました.ロケットに固定された母衛星(MOT)から娘衛星(DAU)を3機分離,放出し,それぞれのDAUを頂点とする一辺約17mの三角形の網構造を展開するというものです.

S-310-36号機PI機器
提供:東京大学・中須賀真一教授

このDAUをガッチリとMOTに固定して打ち上げ,宇宙で設定時刻が来ると分離,放出するための部品として,以下のワイヤ・コンポーネントを開発しました.写真の左側の赤矢印の部分にステンレス製の撚り線のワイヤロープが使用されています.

ワイヤ・コンポ
提供:東京大学・中須賀真一教授

このワイヤロープを,火薬によって刃物で切断するワイヤカッタという部品で切断することで,DAUはMOTからバネの力で勢い良く放出される,というものです.

このワイヤカッタで切断できることが保証されているのは,直径1mmであって,6×7のステンレス製ワイヤロープである…と規定されていましたので,そのようなワイヤを探して使用しています.

S-310-36号機はJAXA内之浦宇宙空間観測所から平成18年1月22日13時00分に打ち上げられ,無事,予定されていた実験を全て実施することができました.

その成果の一部はこちらからご覧いただけます.このページの下の方のリンクから,網構造を展開したときの様子がMOU視点での2機のDAUと,3機のDAUの内の一機の視点でのMOT及びロケットを見た動画で見ることができます.

また,こちらには一般の方が撮影されたS-310-36号機の打上の様子がご覧いただけます.

余談となりますが,筆者は観測ロケットについては2本の経験がありまして,上記のS-310-36号機の次に,現職でS-520-25号機を使って宇宙でテザー実験を行いました.こちらの打上の様子もまた,一般の方が撮影されたものがこちらよりご覧いただけます.

この展開時に網に細長い部材がいっぱい取り付けられているのが見えるかと思われますが,これはマクドナルドストローです.網が絡むことなく収納できて,かつ宇宙で展開できるようにするためには,収納時に網を構成する糸を数多くのストローで保持することが良いという結論になりましたが,ストローなら何でも良いという訳ではなく,いろいろ試した結果,マクドナルドのストローの径のものが最適であるということが分かりました.ただその直径のストローは市販品では見付からなかったため,当初はみんなでマクドナルドに足繁く通っては飲み物を頼み,そのストローを集めるということを行っていました.しかしそれでは数100本集めるのは難しい…となって,最終的には日本マクドナルド様よりご提供いただけることとなってそれを使用しました.

マクドナルドのストローが宇宙に行ったのでした.

オンボードカメラ画像
提供:東京大学・中須賀真一教授