きみを死なせないための物語 宇宙考証の解説
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始動シーケンス
©吟鳥子(秋田書店)

20.宇宙での噴射とか爆発とか

リュカのこれまでの行動は第20話にて最悪の結末を招きました.

ここでは本話で描かれた宇宙での表現が難しいと思われる事項についてドライに解説します.

20.1.エンジン始動

宇宙で推進力を得るためには,物質を高速で噴射してその反作用を利用することがほぼ唯一の手段です.

(ほぼ唯一と書いたのは,導電性テザー(電磁力型のテザー)や磁気セイル(電磁プラズマ型の宇宙ヨット)など電磁場との相互作用による電磁力を用いるものもあるからです(分類は第13話補講をごらんください).しかしこれらもまた,電流を流したり磁場を大きく形成するためには物質を放出する必要があります.)

そして大きな推進力を得るためには,燃料と酸化剤を混ぜて燃やすことで物質内に閉じ込められている大きな化学エネルギー熱エネルギーとして顕在化させ,ノズルによってこれを運動エネルギーに変換する「化学推進」が適しています.

リュカのコンテナ船もまた,化学推進のためのエンジンが搭載されているようです.

微小重力環境下での宇宙では,液体の燃料や酸化剤の推薬ガスによって加圧して押し出すことで,エンジンに滞りなく供給する必要があります.

より大きな推進力を得るためには,エンジンに供給するためのこの圧力は大きいほど性能が良くなります.

従って,リュカがコンテナ船を発進させる際のエンジン始動シーケンスにおいて,まずタンク内の液体に圧力を加えるために「タンク与圧」を行い,その上で推薬弁(バルブ)を開くことでタンクからの推薬(推進剤)の供給を開始しています.

これによってまずプリバーナー(予燃焼室)での燃焼が開始されます.プリバーナーとは,より大きな圧力で推進剤をエンジン内の主燃焼室へ供給するために,主燃焼室より上流で一旦推進剤を燃焼させ,そこで発生した高温のガスでターボポンプを作動させるためのものです.このターボポンプによる強力な押し出し力によって,推進剤は極めて大きな圧力で主燃焼室へ供給することができるようになります.

プリバーナーの燃焼によってターボポンプが超高速で回転するため,その軸受まわりの部材からは甲高い音が発生し,船内の構造を伝って操縦室にも響くと予想されます.これが漫画では「イイイイイ…」と表現されています.

このような,プリバーナーでの燃焼によってターボポンプを作動させてエンジンに推進剤を供給し,主燃焼室で推進力を得るための燃焼を起こす方式のことを「二段燃焼サイクル」と呼び,日本H-IIAロケットの第一段に搭載されているLE-7Aエンジンでも採用されているものです.

なお,二段燃焼サイクルでは効率良い燃焼が行える一方で,構造が複雑になるという困難が伴います.

そこで効率は多少低くなっても構造をシンプルにできて安全性や信頼性を重視する「エキスパンダーブリードサイクル」という方式もあります.こちらはH-IIAロケットの第二段に搭載されているLE-5Bエンジンや,次期基幹ロケットとして開発が進められているH3ロケットの第一段に搭載予定のLE-9エンジンで採用されています.

このH3ロケットやLE-9エンジンの開発にうちの卒業生が何人か関わっていることは個人的にとても誇りに思っています.

あと,リュカは一人っきりなのに声を出して始動シーケンスを進めていますが,これは大変重要なことです.

声出し確認は,電車の運転手さんがよくやっているのを知っている方もいらっしゃるかと思いますが,思い込みや思慮不足での誤った動作を回避するために必要なものであるのは宇宙でも同じです.

20.2.テザーに沿って進む

リュカや国連軍の戦闘機はテザーに沿って進んでいます.

リュカは意図を持ってテザーに沿って地球へ降下して行きますが,軌道力学の見地から,繋留されているテザーに沿って進むためにはテザーに平行にエンジンを噴射させる必要があります.

もしこの噴射方向が違えば,船は急速にテザーから離れてしまうような運動をすることになります.

なお,コンテナ船も戦闘機もエンジンを常に噴射させ続けているにも拘らず,噴炎が遠慮がちに描かれているのは次項にて解説することがあるためです.

テザーに沿って降下
©吟鳥子(秋田書店)

20.3.宇宙での噴射

コンテナ船や戦闘機だけでなく,リュカに狙いを定めたミサイルもまた,テザーに沿って進んでいますが,その噴射による噴炎は遠慮がちに描かれています.

これにも理由があります.

ミサイルの噴炎
©吟鳥子(秋田書店)

化学推進では化学エネルギーを最終的に運動エネルギーに変換して噴射しますが,全てのエネルギーを運動エネルギーに変換することは不可能で,顕在化した化学エネルギーの大半はいろいろなところで損失し,一部は噴射するガスと共に無駄に排出されてしまいます.

よくロケットの打上ではロケットの下方に噴炎が明るく輝きながら伸びていますが,これは光としてエネルギーを無駄に放出しているものとなります.

さて,化学エネルギーを熱エネルギーに変換するのはエンジン内で燃料と酸化剤を混ぜて燃焼させることで行います(第13話補講もごらんください).その結果,燃焼室には大きな熱エネルギーを持つ高温のガスが発生します.

この高温のガスは,高速かつ四方八方に乱雑に動き回る分子の集団です.これをノズルを通すことで分子の運動の方向をある一方向に偏らせて熱エネルギーを運動エネルギーに変換します.

ロケットのノズルは収縮部,スロート(のど部),拡大部から成りますが,ガスの流速はスロート部で音速に達し,拡大部でガスが冷却,膨張しながらさらに速度を増します.

理論的にはこの拡大部が無限に伸びていればガスの速度はどんどん速くなって,その分,大きな推進力を得ることができるのですが,しかしそうするとノズルがとても重くなるために,現実的にはどこかでノズルを打ち切る必要があります.

ノズルによる膨張をどこで打ち切るかは,どこでエンジンを噴射させるかによって最適なところを選ぶ必要があります.

ロケットでは通常,あるどこかの高度で最高の性能を発揮できるように設計されていますが,その高度より上や下ではある程度,性能が落ちます.そのとき噴炎は以下のように,過膨張,最適膨張,不足膨張という状態を表す形になります.

ノズル出口でのガスの圧力が,周囲の空気の圧力と等しいときが最適膨張となります.

噴炎の形状

この噴炎の形状は,周りの空気の圧力によって変わります.

もしYouTubeなどでロケット打上をごらんになることがあれば,この噴炎の形状にも注目してみてください.ロケットの高度が上昇するほどに段々と噴炎が広がっていくのがお分かりかと思います.

さて宇宙では空気が殆ど無く,ほぼ真空となっていますので噴炎の形状はどうしても顕著な不足膨張となり,ノズルから出た瞬間に大きく広がります.

その結果,噴炎はノズル出口直後で若干光って見える程度で,それより外側では急速に膨張して広がって薄まるため,殆ど目に見えないくらいになります.

こちらをごらんください.これはサターンロケットの上段が分離し,噴射を開始するところを下段から撮影したものですが,噴射開始直後は噴射の立ち上がりの影響で噴炎が見えていますが,安定噴射になってからはノズル出口が光っているだけで,噴炎は見えなくなっています.

またこちらも.アポロ17号月着陸船の上段が離昇するシーンですが,ここでも離昇直後に噴炎が下段に当たって若干見える以外は,噴射を継続しているにも拘らず噴炎は見えず,下方から見上げたノズル内部が光っている程度になっています.

以上のような理由で,漫画でも噴炎が遠慮がちに描かれています.

20.3.宇宙での爆発

宇宙での爆発を描くこともまた,難しいものです.なぜなら誰も宇宙で爆発する瞬間を見たことがないからです(高高度での爆発実験は過去行われたことはありますが…).

しかしながら物理的な考察を行うことで,ある程度想像することができます.

地上での爆発で炎がボワーンと急速に広がるのは,空気中で極めて急激な燃焼反応が起こるためです.

余りにも急激に燃焼するため,モノが燃えて加熱されて膨張する速さが音の速さよりも速くなります.するとそれが周囲の空気を伝わるときに衝撃波を発生させます.

爆発でモノが壊れるのは,衝撃波がモノに当たって破壊するほどのエネルギーを持っているためです.

しかし宇宙では空気がありませんから,まず爆炎が急速に広がるということはありません.

また衝撃波も発生しません(超新星爆発による星間物質の広がりが衝撃波を形成することもありますが,これは何光年という極めて大きなスケールで見た場合です).

従って宇宙でミサイルがモノを壊すことができるのは,弾頭に詰め込まれている極めて燃焼速度の速い爆発物が爆発することによって,大量の高速のガスと,それによって弾頭が破裂して高速でばら撒かれる破片とがモノに衝突するためです.

従って,宇宙でミサイルを使って宇宙船を迎撃した場合,爆発物の急激な燃焼によって一瞬ピカッと明るく光った後は,爆炎が発生することなく,粉砕されたミサイルや宇宙船の破片がパーッと広がっていくことになるでしょう.

それを描いたのが以下のひとコマとなります.

大変難しい表現をうまく描いているのは,さすがはプロですよね.

宇宙での爆発
©吟鳥子(秋田書店)