きみを死なせないための物語 宇宙考証の解説
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忌まわしい重力が消えたら
©吟鳥子(秋田書店)

1.テザード・コロニー

コクーンは宇宙コロニーであって,テザーによって繋留されているので,テザード・コロニー(Tethered Colony)の一種です.軌道を周回していることや,テザーで繋留されていることで,コクーンには様々なが働きます.

1.1.テザーについて

同作のSFを支える核心技術は「テザー」です.

宇宙工学においてテザーとは,宇宙で長く伸ばした紐状の構造物のことで,代表的なものにはエレクトロダイナミック・テザー(導電性テザー)やモーメンタム・テザー(運動量交換型テザー)があります.

エレクトロダイナミック・テザーは,何らかの方法でテザーの両端に電位差がある状態にしてテザーに電流を流し,地磁場との干渉によって電磁力ローレンツ力)を発生させて軌道変更などを行うものです.

モーメンタム・テザーは,回転しながら地球を周回するテザーの一端にペイロードを引っ掛け,テザーの回転によってペイロードを放り投げて目的地へ輸送するものです.

しかし,一般的に最も知られているテザーの応用は,軌道エレベータではないでしょうか.

軌道エレベータはモーメンタム・テザーの一種で,テザーの一端が地球又は天体に固定されているか,或いは静止軌道(GEO)にある静止衛星から地上までテザーが垂下しているものです.なお全体の重心はGEO上にある必要があるため,静止衛星と地上とを結ぶテザーの反対側にも,適当な錘(カウンターウエイト)を取り付けたテザーが伸ばされています.エレベータのような昇降装置でテザーを昇り降りすることで,ロケットを使わなくてもペイロードを地上から宇宙へ持って行くことができます.

軌道エレベータほどの長いテザーになると,テザーの上下端に作用する重力の大きさが大きく異なるため,テザーの両端を上下に引っ張るような力(偶力)が作用します.このような,場所によって重力の大きさが異なることを重力傾斜といい,重力傾斜によって発生する力は潮汐力といいます.潮の満ち干きも,特にが地球に対して作用する潮汐力によるものですし,ある天体にロッシュ限界よりも近付いた天体が破壊されるのも潮汐力によるものです.また,重力傾斜を利用してテザーや宇宙機姿勢を安定させることを重力傾斜安定と呼び,例えば人工衛星から先端に錘を付けたブームを伸ばすことでその姿勢を安定させることは既に行われています.

カウンターウエイトの位置を適切に調整することで,全体の重心が常にGEOにあるように調整され,また,テザーがぶらぶらと揺れる動き(秤動)を抑制することができます.

これらの結果,軌道エレベータでは,テザーは下図のようにピンと張られた状態を保ちながら,地球の自転に同期して周回します.なお,地球の自転周期は24時間(1太陽日)ではなく,23時間56分4秒(1恒星日)であることに注意してください.この状態の軌道エレベータを地上から見れば,空の遥か彼方から一本の紐がぶら下がっているように見え,さながら「蜘蛛の糸」のような情景でしょう.

軌道エレベータの概要

実際には,テザーにはものすごく大きな力が作用するため,テザーの材料がその力に耐えられるよう,場所(高度)によって太さを変化させることが提案されており,従ってこの場合は一本の紐状のテザーではなく,上空に行くに従って段々と太くなる逆層構造のタワーのような形状となります.また,テザーの秤動を完全に抑えることは極めて難しいことではありますが,重心位置や張力の調整を行うことで制御する方法もまた,いろいろと提案されています.

なお,テザーは実利用としては未だ実現しておらず,専ら人工衛星や宇宙船を用いた軌道上実験が行われている段階です.我々のグループもISAS/JAXA観測ロケットS-520-25号機2010年8月31日打上)を用いたベア・テザー実験を行いました.2010年時点の少々古いものですが,テザー実験の歴史を簡単にまとめたのが下図です.横軸が実験年,縦軸がテザー伸展長となり,S-520-25号機での設計値をT-Rexとして図中にプロットしています.古くはジェミニ11号ジェミニ12号でも実験されており,現在も静岡大学・能見研究室STARSプロジェクトなどが軌道上で精力的に実験を行っています.

テザー実験の歴史
提供:神奈川工科大学・渡部武夫准教授

1.2.今日から東京コクーンは地球降下だって

コクーンは宇宙コロニーであって,テザーによって繋留されているので,テザード・コロニー(Tethered Coloby)の一種です.軌道を周回していることやテザーで繋留されていることで,コクーンには様々な力が働きます.

まず,下図のようにコクーンがテザーで繋留されておらず,ある軌道高度で円軌道を周回している場合を考えます.

このとき,コクーンはその軌道高度での所定の速度で軌道周回しており,万有引力(赤の矢印)と遠心力(青の矢印)は釣り合っています.その結果,コクーン内はいわゆる無重力状態となります.国際宇宙ステーション宇宙飛行士がふわふわ浮いているなど,ご覧になられた方もいらっしゃるでしょう(なお,実際には薄いながらも大気の影響や,他の天体からの万有引力,太陽光による光の圧力(輻射圧),地磁場との干渉などがあって完全な無重力状態ではないので,厳密に言えば微小重力状態にある,という言い方をします).

コクーンが第一宇宙速度で周回している場合

次に,下図のように,コクーンがテザーによって自転をする天体に繋留されて円軌道を周回する場合を考えます.

このとき,コクーンの軌道高度がその天体の静止軌道高度(地球の場合は高度35,768km)であれば,上記のテザーで繋留されていない場合と同じく,万有引力と遠心力は釣り合っています.

しかしもしコクーンの軌道高度がそれよりも高い場合には,万有引力(赤の矢印)よりも遠心力(青の矢印)の方が大きくなって,コクーンがテザーを引っ張るようにテザーに力がかかります.ここで作用反作用の法則によって,コクーンからすれば,コクーンにはテザーによる引張力(橙の矢印)がかかります.これにより,コクーンは天体の自転に同期して円軌道を周回します.紐に錘をつけてぶんぶん振り回しているのと同じ状況です.

ところがコクーン本体やコクーン内部の全てのものは,大きな遠心力によって常に円軌道から外れて飛び出そうとし続けている状態です.しかしコクーン本体はテザーによって強制的に円軌道を周回しています.その結果,コクーン内の全てものは常に,コクーン本体の中で天体とは反対の向きに押し付けられるような力を感じます.これがコクーン内の重力(緑の矢印)となります.水の入ったバケツをぶんぶん振り回すと,バケツが逆さまになるときがあっても水は溢れず,バケツの底に押し付けられているのと同じ状態です.

簡単にまとめると,コクーン内部のものには全て,遠心力(青の矢印)と万有引力(赤の矢印)の差の分だけがコクーン内の重力(緑の矢印)として作用します.

コクーンがテザーで繋留されている場合

万有引力と重力は,時として混同されたり区別なく使用されたりすることもしばしばありますが,厳密な意味での使われ方,そして同作での呼び方では,重力とは万有引力や遠心力の合計のことをいいます.この定義に従うと,地球の重力は場所によって異なります.実際には地球の質量分布が場所によって異なっていることや,地球の形が完全な球体ではないこともありますが,それはここでは考えません.

地上でのことを考えると,赤道上では遠心力が最も大きくなる一方,極点では遠心力はほぼ0となります.また,海抜0mのところよりも高い山の上の方が地球中心から離れるので,万有引力は小さくなり,遠心力は大きくなります.

従って,体重を少しでも軽く見せたいとお思いならば,赤道上で,または高い山の上で計ることをオススメします(しかしがっかりなことに,実際は物凄く小さな違いなので,日常生活ではまず気付かない程度です).

地表での重力の違い
高度での重力の違い

コクーンの場合,下図のように83,576kmの長さのテザーを巻き取ったり伸ばしたりすることで,通常高度(遠点=アポジと呼びます)と「地球極大」である「高度400km」(近点=ペリジと呼びます)の間を上下します.

同作の設定では,下図のように「地球降下」は2段階に分けて行うものとしています.

コクーンの地球降下のプロファイル

「地球降下」時のコクーンのペリジからの距離の時間履歴を下図に示します.

降下時のコクーン位置の履歴

第1段階ではアポジから静止軌道(GEO)まで,1週間かけて48,190kmだけテザーを巻き取ることで降下します.この道程の前半は降下速度を加速し,後半は減速することで,GEOで一旦停止します.地球極大は春分夏至秋分冬至のときですからその1週間前から既にコクーンは降下を開始しています.

第2段階ではGEOからペリジまで,35,386kmだけテザーを巻き取ることで降下します.同作ではこれを「地球降下」と呼んでいました.ここでも道程の前半は降下速度を加速し,後半は減速することで,ペリジで停止し,「地球極大」を迎えます.この所要時間は16.72時間と設定したので,第2段階ではコクーンは一気に降下します.下のコマでの「今日から東京コクーンは地球降下だって」の台詞は,「今日から第2段階が始まっている」という意味であって,コクーン住民にとってはいよいよ「地球極大」を迎えるという大きな期待もあって,第2段階が特に意識されているものであると考えられます.

同作中での「地球降下」
©吟鳥子(秋田書店)

この降下に際しては,先述の通り,テザーで繋留されたコクーンの場合には軌道高度によって,コクーン内の重力が変化します.このコクーン内の重力の変化をシミュレーションしてみると,アポジにあるときにはコクーン内の重力は1Gとなっていますが,第1段階完了時で0.51G,そして第2段階完了時即ち「地球極大」時に0Gとなります.このコクーン内の重力(Gravity in Cocoon)の履歴を下図に示します.

降下時のコクーン内の重力の履歴

従って,アラタたちがコクーン・シアターで1970年代の小学生の夏休みを体験しているとき(下図左)はコクーンは降下の第1段階の最中であって,且つ,第2段階の前日ですから,大体0.5~0.6G程度になっていたと考えられます.そして,京都コクーンに赴いたときには第2段階が完了しているので0Gとなっており,同作でもその様子が描かれていました(下図右).

コクーン内の重力の変化
©吟鳥子(秋田書店)

なお,「重心位置はどうなんだ?」とか「ペリジでの軌道速度が足らないのでは?」とか,または検算されまして「ファクターが異なるぞ?」と思われた方は,第2話の扉絵での「日本国国土交通課『統計要覧』」に記載の「重力発生機能」という記述にご留意いただきながら,今後の同作の展開と本解説の改訂をお待ちいただければと存じます.

1.3.ターラはコリオリ酔いしないんだっけ?

ところで「地球降下」が開始されたとき,アラタがゲロゲロしていたのはなぜでしょう.勿論,無重力状態になると酔うこともあるようですが,この時点ではまだコクーン内は無重力状態にはなっていません.また,下のようなコマもありました.コリオリ酔いとは?

ターラはコリオリ酔いしないんだっけ?
©吟鳥子(秋田書店)

これまでにコクーンに働く力として,万有引力遠心力があることを述べましたが,実はもう一つ,コクーンが「地球降下」することで発生する力があります.それはコリオリ力です.

コリオリ力は,円運動をしている物体の回転運動の半径が変化するとき,その回転半径の変化速度に比例して発生する力です.コクーンが降下したり上昇したりすると,その軌道高度が変わる,即ち回転半径が変化するので,コクーン全体に下図のような向きにコリオリ力が働きます.なお,降下時と上昇時とではコリオリ力の向きは逆になります.その結果,テザーは若干湾曲しますが,第2話の扉絵ではその様子が描かれています.

このときコクーン住民は,コクーン内の重力の方向に対してほぼ垂直な方向にコリオリ力を感じるため,両者が合わさることで,ぐわんと目が回るでしょうし,頭を動かしたり歩いたりするとふら~っとするような感覚を覚えることでしょう.目では動いていないように見えるのに三半規管はコリオリ力を感じてしまうので,平衡感覚に支障が生じ,人によっては気持ちが悪くなってコリオリ酔いが発生します.身近な例では,メリーゴーランドに乗っているときにきょろきょろと顔を動かすと頭がぐわんと回るような感覚がありますが,これもコリオリ力による作用です.

コクーンの「地球降下」では,全行程を通して最大のコリオリ力が働くのは,第2段階の中間地点で0.0561Gとなります.これは10秒で1回転するメリーゴーランドで半径方向に秒速約44cmで動くのと同じで,ふと景色を見ようと顔を動かす程度の場合と同程度のコリオリ力となり,結構大きなものです.一方,第1段階では最大でも0.0079Gなので殆ど感じることはないでしょう.アラタは,第1段階は何事もなく乗り越えましたが,第2段階が始まると急速に大きくなるコリオリ力によってゲロゲロとコリオリ酔いに…だからといってコクーン内にいる限りはどこにいてもコリオリ力からは逃れられませんから,さぞかし辛かったことでしょうね.

コリオリ力

1.4.地球の見え方

こんなひとコマがありました.

ああ地球が近い
©吟鳥子(秋田書店)

さて,私たちが物体を見たとき,それが大きいとか近いとか感じるのはなぜでしょう.

それは,その物体の張る角(視角)を目で感知するからです.下図のように,地球の近くにいるときは私たちの目から見た地球の視角は大きくなり,遠くにいるときは小さくなります.

コクーンがアポジにあるときに地球を見た場合の視角は8.1°,これは満月の視角の約16倍です.コクーンがGEOにあるときは視覚17.4°で満月の約35倍,ペリジにあるときは視覚140.4°で満月の281倍となります.これがどのくらいの大きさであるかを身体を使ってやってみると,腕を伸ばして人差し指を立てたとき,大体目先50cm先に幅2cmくらいのものがあるとすると,人差し指の視角は約2°です.ざっくり言えば,コクーンがアポジにあるときに地球を見ると指4本分くらいの大きさに見えるんだろうな,と分かります.GEOだと両方の手を使って指8本分くらいなので,コクーン・シアターに入る前に見た地球は,普段見慣れているアポジから見た地球よりも倍くらいの大きさになっているので,ああ地球が近い,と感覚的に分かりますね.

なお,第1話と第3話と第6話の地球の大きさを比較してみると良いかも知れません.作者はこの辺,ちゃんと計算されて描かれていて,その表現は見事なものです.

地球の見え方